見直し規定があったにもかかわらず、実質上の棚晒しにされていた臓器移植法の改正について、A案が衆議院できのう可決しました。とはいえ、参議院での審議を残していますので、先行きはまだまだ不透明ですが…。
A案のポイントを要約すれば、
1. 提供可能年齢
15歳以上 → 制限なし(0歳から)
2. 意思確認
本人の書面による意思表示+家族同意
↓
本人の生前拒否がなければ、家族同意でも可
3. 「人の死」の定義
臓器提供に限り、脳死は「人の死」
↓
(基本的に)脳死は「人の死」
といったところでしょうか。
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以前、移植医療について、大阪大学の移植医療部のドクターにお話を伺ったことがあります。
そのドクターによれば、移植医療に携わるきっかけになったのは「目の前でたくさんの方が苦しみ、亡くなっていく。そういう患者さんを助けたい」、そう考えると〈移植〉しか手がないと思い至ったことだと仰っていました。
多くのドクターが、同じような心境ではないでしょうか。
生体移植の場合、健康な善意の人間に、本来ならば必要のないメスを入れなければなりません。脳死移植では、誰かの死が文字通り、いかされることになります。
いずれにせよ、ドナーとレシピエントが対になって初めて成り立つ医療ですから、両者の人権が同等に尊重されなくてはいけません。
医療において、自己決定権をなにより優先することは基本とされています。
現行法で提供年齢を「15歳以上」としていたのは、民法で15歳未満には当事者能力がないとされていることが背景にあります。
つまり、自分で物事の正否を判断するには未熟で不十分だから、その世代はヤメにしておきましょう、というわけです。
とはいえ、死について理解する能力が小中学生にはないと断ずることはできません。そう考えると、赤ん坊の場合は家族の判断にゆだねるしか手はありませんが、すべての「脳死を一律に人の死」として、家族同意のみで移植を可能とすることに、自己決定権を尊重する立場から反対という意見も出てきます。
また、この法律を変えさえすれば、問題が一気に解決するというわけでもありません。
脳死移植のこれまでの実績は年平均10件前後。
ドナーカードなどの書面による本人の生前からの意思表示に加え、家族の同意も必要とするなど、ハードルが高かったのは事実ですが、移植に関する知識がまだまだ多くの人に共有されていなかった点があることも事実ではないでしょうか。
医療スタッフの側にも課題はあります。
提供に同意する潜在的ケースが増えたとしても、救急医療の疲弊は深刻です。
マンパワーが圧倒的に足りない現実を前にして、脳死判定への十分な対応が可能なのか、はなはだ疑問が残ります。
もちろん、現場でドナー家族のほか、各医療スタッフ間をつなぐ重要な役割を担う移植コーディネーターの増員・養成も急務です。
■移植のその先
忘れがちですが、移植は魔法ではありません。現在の移植医療はきわめて優秀です。重病の心臓病患者が術後は何事もなかったかのように社会復帰できるまで回復するといいます。
しかし、免疫抑制剤を一生、飲み続けなければならなかったり、生ものを食べることを避けるなどの食事制限がなされるケースもあります。
感染症や糖尿病、潰瘍などへの注意が必要なため、定期的な検診が欠かせず、医療費の負担は移植後も少なくありません。
前述のドクターの話にあるように、いまの医学では移植でしか救えない患者さんがいます。
一方で、提供者の善意を土台にしなければ成立しないのが移植医療のネックです。
iPS細胞を用いるような再生医療が進展、実用化することによって、いつかは〈今の移植医療〉が過去の治療法になることが、やはり理想であることには疑う余地はありません。
移植ツーリズムの排除や、いま危機にさらされている命をどう救うのかという現実的な問題と同時に、中長期の視点で医療・医学をどのように伸ばしていくのかという先を見据えた議論、手助けも怠らないこと──、が重要なことではないでしょうか。
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