いよいよ明日から、司法制度改革の目玉として、裁判員制度がスタートします。
もっとも実際に一般の人たちが参加して裁判が開かれるのは、数ヶ月先になるのかしれませんが。
この新しい制度に関しては、昨年、東京地裁刑事部の判事さんや日弁連の司法制度改革調査室嘱託の弁護士さんに直接、お話をお聞きしたことがあります。
みなさん一生懸命、新制度スタートの準備をされていて、裁判員制度の有効性について語っていました。「裁判に参加し、みんなと意見を述べ合うことで得られる理解ややりがい、達成感も、少なくないと思います」という言葉には、なるほどとも思いました。
個人的には「裁判への国民参加」は、概ね賛成です。
でも、いったいぜんたいどう捉えたらいいんだろう?
と困惑したり、要望したいことはいくつかあります。
制度の問題点については、寝た子が起きたように先週辺りからマスコミでも改めて採りあげているようですが、あまり目立っていない点について二、三、「覚え書き」しておきたいと思います。
■控訴審(上告審)はこれまで通り
国民参加の裁判員制度で行われるのは、第1審。つまり地裁だけです。検察、被告が地裁判決を不服として、より上の法廷で審理される場合はこれまで通り、プロの裁判員だけで行われます。
「一般の人の視点,感覚が反映させる」ことが導入目的の一つと言われていますが、もし地裁と上級審との判決結果に、天と地との差が出るようなことがあれば、仕事休んで一生懸命、議論した国民は、阿藤快じゃありませんが「なんだかなぁ…」とぼやくことになりかねません。
なんとなく、すっきりしない制度設計では…。
ちなみに、アメリカの陪審制度では刑事事件の場合、検察側の上訴はできない仕組みです。
■無罪と思っても罰を考える!?
アメリカの陪審制では、有罪無罪の事実認定のみを扱うのに対し、裁判員制度ではご存じの通り「量刑」まで判断を求められます。有罪無罪は基本、多数決で決められます。
すると、多数決で被告人が有罪と決まったつぎのステップで、参加した裁判員たちはどのくらいの罰が適当か議論するわけです。
でも、そのなかには、そもそも有罪無罪の決のときに「無罪とすべき」に票を投じた裁判員も含まれます。
裁判員全員が有罪に票を投じていれば問題ありませんが、少数派「無罪」の立場になってしまったとしたら、その裁判員は「本当は無罪なのではないか」と思いながら、量刑を考えなければいけません。
自分がその立場に立たされたら、どうすりゃいいのか?
…自我が引き裂かれてしまいそうです。(@_@;)
■対象は人を死亡させたような重大事件ばかり
これは困惑というか要望です。対象となるのが、殺人や強盗致死傷、強姦致死、放火罪、身代金目的誘拐、危険運転致死の事件であることについて、素人が準備もなしに直面するのは「心理的に酷すぎる」というのは多く指摘されていることですが、
個人的にはむしろ、一般の人の感覚がより求められる不当解雇や過労死、薬害にまつわる事件など、いわゆる労働裁判(労働審判)や行政訴訟などを早く対象としてほしい気がします。
——————–
まったく新しい仕組みですし、混乱は当然するでしょう。
当時インタビューしたプロの判事、弁護士の方々も、その点については率直に認めていました。付則でも3年後に見直しをすることがあらかじめ決められています。
新制度スタートは、人が人を裁く制度の、大手術。
手術をする前よりQOLが下がったなんてことになってはいけません。
細かいところがはっきりと決められないまま発車している面もあります。
実際の運用がどうなっていくのか、良い面も悪い面もきっちり見逃さないようしなくてはいけませんね。
タグ: 刑事裁判, 司法制度改革, 裁判員制度, 陪審制